『健康』って、なんだろう。
ものすごく「そもそもの話」になってしまって恐縮ですが、「健康」とはどういう意味でしょう。
「健康」という言葉の登場は、明治維新以後であると言われています。それ以前は「健やか」「丈夫」「達者」といった言葉が用いられていました。
では、「健康」と「健やか」は同じ意味なのでしょうか?
ヒダマルは、違うと考えています。
明治以前の「健やか」「丈夫」といった言葉のニュアンスは、「主観的」「感覚的」な要素が強いのです。お医者さんがどう判断したかではなく、「ちょっと具合が悪い」とか、「なんだか気分がいい」といった本人の主観に、状態の判断が任されていた時代です。
一方、「健康」はというと、これは医師の診察のもと、客観的事実に基づいて下される状態を指します。本人がいくら元気でも、痛みや辛さ、悩みなどが皆無であっても、「健康」ではない可能性があるのです。
なぜこのような話をしているかというと、「健康ではない子ども」と「健やかでない子ども」を分けて捉えたいからです。
子育てをしている方は想像しやすいと思いますが、乳幼児期、まったく鼻水を垂らさない子なんていません。しかし、その鼻水を理由に病院を受診し、お医者さんからの診断が下れば、その子は「病人」として扱われることになるのです。
子どもは、鼻水を垂らすこともあれば、熱が出ることることもあるし、便秘になったり下痢になったり擦り傷を作ったりと、そんなことは日常茶飯事です。「鼻は常に清潔で、咳もなく、皮膚に傷一つついていない子ども」なんて、どこにもいません。そして、「健康」でないまでも普通に生活している多くの子どもたちは、「健やか」に生きているのです。
もちろん、「お医者さんなんて必要ない」と言っているわけではありません。子どもの「健やかさ」が損なわれていたり、明らかに苦しんでいる場合など、早急に病院にかかる必要があるシーンはままあります。しかし、日常レベルの「客観的事実」に囚われすぎるのはどうかと思うのです。
この子は今、元気かな?
今日の体調は、大丈夫かな?
そう考えた時は、その子の顔色を見て下さい。表情を見てください。特に変わったところもなく、表情が朗らかで、そして何より遊んでいれば、その子は「健やか」です。心配いりません。
ヒダマルは保育士であり、医者ではないので、「普通にしているのなら絶対大丈夫」とは決して言えませんが、大抵の子どもに当てはまります。
人間は、必ずしも「健康」でなくても良いのだと思います。
もっと大切なことは、「健やか」で「康らか」な状態であること。
少々理屈っぽく、抽象的な話になってしまいましたが。
一人の子どもを前にした時、まずは、「この子は健康に生きているだろうか」よりも「この子は健やかで康らかに生きているだろうか」と考えたいと思うのです。